【再現答案】平成26年度司法試験民事系第3問(民事訴訟法)

【民事訴訟法】6頁目の2~3行目くらいまで

[設問1]
⒈ 本件では、X・A・B社が、L1・L2・Cを介して訴訟上の和解(民事訴訟法(以下、略267条)、をしている(以下「本件和解」という)。しかし、本件和解当時、B社の真の代表取締役は、登記されていたCではなく、Dであった。そして昭和45年最判によると、訴訟手続においては表見法理の適用はないとされているので、このままでは、本件和解の効力は、B社に及ばないこととなるおそれがある。そこで、以下では、本件和解の効力がB社に対して及ぶ方向で、立論・検討する。
⒉ 昭和45年最判は、次のような理由で、訴訟手続における表見法理の適用を否定している。すなわち、①表見法理は、取引の安全を図るために設けられた規定であり、取引行為とは異なる訴訟手続には適用されない。②旧商法42条は表見法理だが「裁判上ノ行為」を除外している。
⒊ しかし、昭和45年最判の理由付けは、代表取締役がした訴訟上の和解については、妥当しないと考える。
 ⑴ ①について
   訴訟上の和解には「確定判決と同一の効力」(267条)があるが、これは当事者間の意思表示の合致をその要素とする。また、訴訟行為としての性質だけでなく、私法上の和解契約(民法695条以下)としての性質も併存している。そして、和解は、当事者どうしの互譲により、紛争の適切な着地点を探りながら、できるだけ自己に有利な和解がされるように交渉し合うことをその本質とする。故に、訴訟上の和解には、当事者どうしが、自己の交渉材料を用いつつより自己に有利な和解に持ち込むように交渉し合うという取引的要素があるといえる。
   故に、訴訟上の和解が訴訟行為であるからといって、昭和45年最判の理由①が用いるような理由付けは妥当せず、むしろ、その理由付けは、訴訟上の和解に表見法理の適用がある方向を意味するものといえる。
 ⑵ ②について
   たしかに、旧商法42条但書は「裁判上ノ行為」を除外している。しかし、会社法354条は、代表取締役につき裁判上の行為を除外していない(会社法13条、現行商法24条対照)。故に、昭和45年最判の理由②は、表見代表取締役の場合については妥当しない。
 ⑶ア また、たしかに、訴訟手続はいくつもの訴訟行為の積み重なりから成るものであるから、訴訟行為につき表見法理の適用を認めると、相手方当事者の善意無過失(無重過失)という主観的要件の充足の有無によって表見法理の適否が変わってしまい、訴訟手続の法的安定性が著しく害されるとして、訴訟行為に表見法理は適用されないとの考え方がある。
    しかし、代表取締役は登記事項であり、訴訟の際会社の代表者は登記を確認してされるのが通常であるから、登記上の取締役について表見代表取締役の規定を類推しても、一般的に、相手方当事者は善意無過失(無重過失)といえる(会社法908条参照)。故に、訴訟手続の法的安定性が害されるといった事例はほとんどない。
  イ のみならず、昭和45年最判の事案は、訴訟手続が第一審の判決がされたところまで進んでいた事案であって、それまでに訴訟行為が積み重なっていた。これに対して、本件では、第一審の第一回口頭弁論期日において実質的に弁論がされたとはいえず、その後すぐに和解期日が設けられ、同期日で本件和解がされた事案であって、訴訟行為が積み重なっていない。本件は、昭和45年最判と事案を異にする。
⒋ 以上より、本件のような登記簿上の代表取締役が真の代表者でなかった場合には、会社法354条が類推されるべきであり、B社はCが代表取締役だと登記をし、X・L1がこれを信頼していた以上、本件和解の効力は、B社に及ぶ(267条、115条1項1号)。
⒌ 仮に、訴訟上の和解としての効力がB社に及ばないとしても、本件和解は、私法上の和解としての効力が併存しているというのが紛争解決を望む当事者の合理的意思に合致するから、本件和解契約は、私法上の和解として会社法354条の適用を受ける。故に、結局、B社は本件和解による金銭の支払い義務を、Xに対して負っている。

[設問2]
⒈ Aは、本件和解条項1項のような謝罪を含む和解をする代理権を与えておらず、無権代理であるから、本件和解は全体として無効であると主張している。そこで、「特別の授権」(55条2項2号)を受けた訴訟代理人弁護士の代理権の範囲が問題となる。以下では、本件和解が有権代理であるという方向で、立論・検討する。
⒉⑴ 本件のような、訴訟代理人弁護士による訴訟上の和解では、当事者の意思を適切に和解に反映する要請と、法律の専門家である弁護士のよる適時に適切な和解をしてもらうという要請が対立することがある。
 ⑵ そこで、前者の要請を重視して、訴訟代理人弁護士の和解の代理権の範囲を訴訟物の範囲に限定する考え方がある。しかし、通常、訴外の第三者に保証をさせたり、当事者に抵当権を設定させたりと、訴訟物以外で互譲をすることが通常である。そもそも、当事者は、訴訟物たる権利法律関係の存否について争いがあるからこそ、民事訴訟をしているのであって、訴訟物以外の部分に互譲を認めないと、和解により解決できるケースがほとんどなくなってしまう。この考え方は上述後者の要請を軽視するものであり妥当でない。
 ⑶ そこで、前者の要請を考慮したうえで、後者の要請を重視して決定すべきであり、同一の紛争といえる範囲内における互譲であれば、弁護士による和解の代理権の範囲内であると考える。この考え方は、昭和38年最判の考え方にも沿う。
   本件では、本件和解条項1項の謝罪は、本件の損害賠償請求の基礎となった事故についてのものであるから、同一の紛争の範囲内であるといえる。故に、L2の代理権の範囲内である。
⒊ 以上より、本件和解の効力はAに及ぶから(267条、115条1項1号)、Aはこれを争うことはできない。

[設問3]
⒈ 本件和解条項2項・5項の既判力(267条、114条1項)は、Xの本件後遺症に基づく損害賠償請求権には及ばないとして、以下の2つのような立論をすべきである。すなわち、第一に、本件和解条項2項・5項の既判力は減縮するから本件後遺症に基づく損害賠償請求権には及ばない。第二に、117条類推により本件和解条項2項・5項の不存在部分には既判力が生じない。
⒉⑴ まず、第一の立論について。訴訟上の和解にも、既判力が生じる。そして、既判力の正当化根拠は、当事者には裁判所の面前で相対席のもと争った主張を、裁判所に審理判断してもらう機会が与えられていたという自己責任に基づく。
   これを訴訟上の和解の既判力に応用すると、訴訟上の和解は、前述のように、当事者間の互譲をその本質とする。そして、当事者は、より自己に有利な和解となるために、自己に有利な事情・不利な事情を背景に、これカードとして交渉することになる。そして、和解当時に存在していた事情については当事者はそれを念頭に和解交渉をすることができたのだから、その和解の既判力が及ぶことになっても自己責任であるといえる。しかし、和解当時存在していなかった事情については、それを念頭に交渉する余地がないから、自己責任という上記根拠が妥当しない。
   そこで、和解当時存在していなかった事情については、既判力が減縮し、これに既判力は及ばないと考える。
 ⑵ 本件では、本件和解がされた当時、Xに後遺症はなく、本件後遺症は、それから半年以上がたって初めて生じた。
 ⑶ 故に、本件後遺症に基づく請求につていは、既判力が及ばない。
⒊⑴ 次に、第二の立論について。117条は、定期金賠償についてではあるが、判決の変更を認めている。この趣旨は、定期金賠償を認める判決がされた後に事情が変わったことにより、判決の内容が一方当事者に著しく酷となった場合に、これを避けるため判決の変更を許す点にある。これは、被害者の介護費用を定期金で賠償する判決がされた後すぐに、被害者が死亡して介護費用が不要となった場合など、人身損害を念頭した規定である。117条は、一定の場合に実質的に既判力の変更を認めるに等しい。
   そして、117条1項但書は、支払期限が来てない部分につて変更を認めるものである。これは、支払済の部分には既判力が及び、支払が済んでいない部分、つまり債権債務が不存在の部分には、既判力が及んでいないと読むことができる。
 ⑵ そして、上記117条の趣旨は、一時金賠償と後遺症の場合にも妥当するから、117条1項但書が類推されると考える。
 ⑶ 故に、本件和解条項2項・5項には既判力が生じない。
⒋ 以上より、いずれにせよ、Xの上記請求には既判力が及ばない。

以上

★感想:
 ▷形式面について。全体的に思考の流れが伝わるように努めました。設問1については、誘導で、代表権の存否は職権調査事項・代表権を欠くことは絶対的上告理由云々の部分は書くなというメッセージだと受け取り、思い切って書きませんでした。
 ▷内容面について。設問3の第二の立論については117条については自分でも分かっていない状態で書いていました。。今思うと、117条1項但書は、判決内容の不均衡を調整するために、弁済期未到来部分の判決に限り変更判決を認めているということは、その部分についてはそもそも既判力を生じさせず、後の事情変更に備える調整弁としての機能を有する規定であると考えることができそうです。そうすると、人身損害における和解当事者が、その他の債権債務関係が存在しないことを確認する旨の条項は、あくまでも、後遺症等の事後的な事情変更に備えた調整弁としての機能を有するのみであって、そこには既判力が及ばないと考えることができるという考え方もあり得ると思います。そして、訴訟上の和解は、既判力があるとしても、当事者の意思表示をその要素するものであるから制限的既判力が及ぶに過ぎないと考えると、和解によって、当面は当該損害賠償請求権が存在することのみを確認しましょうとした部分については既判力がお及び、不存在部分に既判力は生じないと区別しても、それは当事者の合理的意思を反映するものなので、制限的既判力説からは説明がつきそうです。今のところはこれが出題趣旨な気がしないでもないです。

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